ピントを外して物語を語ろう〜パッキリと撮ることが最適解ではない理由〜
SONYのオートフォーカスは精度が高く、どんな状況下でも満足のいくピント合わせをしてくれます。
でも、それだけではつまらないんです。
えっどういうこと?ピントは合っていた方がいいんじゃないの?
そう思うでしょう。ですが、必ずしもそうはならないときがあるのです。
今日は、ピントを敢えて外すという表現について解説していきます。
ピントを外すと物語性が生まれる
ピンボケしている写真って良いと思いますか?
ピンボケしている写真って失敗じゃないの?
実はそうとも限らないのですよ。この写真をみてください。
綺麗な写真だねっ!
では、こちらは?
ピントは合っていないけど、こっちはこっちで悪くないような気もする!
二つを並べてみるとこんな感じ
ああっ!ちょっとなんかわかったぞ!
はい。左の写真のようにパキッと写った写真も悪くないですが、右のちょっとピントのずれた写真もちょっと幻想的な感じがして良くないですか?
右の写真はマニュアルフォーカス(以下、MF)にして、敢えてピントを外して撮っています。
もう一枚写真を見てましょう。
綺麗にピントがあっている写真ですね。では、ボカしてみますよ。
どうですか!ちょっと、おぼろげというかうつろげというか、言葉で表現しきれない物語性が生まれたのがわかるでしょうか。
わかる!
このように、ピントを外すことで生まれる物語というのがあるのです。
ピントを敢えて外すという発想をつけるためには
でも普通に写真撮っていて、ピントを外そうと思う人っていないよね?
そうなんですよ。私もそんな発想はありませんでした。なぜこのピントを外すと物語性が生まれることに気付いたかというと、SONYのシングルオートフォーカス(以下、シングルAF)のおかげでした。
オートフォーカスを使っていて、気づいたってどうゆうこと!?
言ってることが矛盾してますが、SONYのオートフォーカスとて万能ではありません。ピントを外すときもあります。これは子供をモデルとした撮影をしているときでした。
子供は動き回りますよね?コンティニュアスオートフォーカス(コンティニュアスAF)なら、常にピントを捉え続けるので外すということはありませんが、シングルAFは一度ピントを合わせたら、フォーカスは止まってしまいます。その止まった瞬間に子供が動いて、ピントが外れたタイミングでシャッターを切ったことがありました。
子供の撮影は難しいなと思いましたね。
そして、パソコンに取り込んでみてみると、その写真がピントが外れているのになぜか懐かしい、絵になる画という雰囲気になっていました。
多分、コンティニュアスAFで撮っていたら、こんな写真は撮れなかったでしょう。
なんたる僥倖!
と、思いましたね。
なので、まずは敢えてピントを外そうと思わなくて大丈夫です。
シングルAFで、いつか偶然ピントが外れるのを待ってみましょう。もちろん、私の写真からピントを外すことが物語を演出すると理解できた方は、さっそくMFにして狙ってみるのもアリです。
カメラの性能に頼っていては撮れない写真ってのがあるんですね。
まとめ:ピントを外して物語を演出しよう!
いかがだったでしょうか。
ピントを外すと物語性が生まれることについて解説しました。
ちなみにボカし具合もコントロールするとまた違ったニュアンスが生まれます。
言葉で表現するのが難しいだけに、どれくらいピントを外すのが良いのかは、みなさんの判断に委ねます。
写真に最適解なんてありません。どんだけ考え抜いて撮った力作よりも、たまたま偶発的に撮れた写真の方が良いなんてことはよくあります。
大事なのは、ひたすら色んなものを撮ってはパソコンに取り込んで振り返る。その中に、自分の意図していなかった奇跡の一枚が入っているかもしれませんよ。
最後にピント外しではないですが、こういう表現もアリだと思います。
ただの公園のベンチですが、思いっきり白飛びさせてみました。ピントは合っていますが、太陽からの強いフレアによって、はっきり写っていないことがどこか遠い記憶の思い出を連想させます。
個人的には、そのたった一枚の写真を見た人が、勝手にいろんな妄想を膨らませることができたら、それは物語性のある写真だと思っています。